ときめきのヒントを得た
【自治区ユース 01】
— 金沢21世紀美術館 (@Kanazawa_21) 2019年8月23日
チームラボの猪子寿之さん(@inoko21)をお招きして「資本主義の終わり、生存戦略としてのアート」と題したトークイベントを開催します。
8/25の16:00–17:30、金沢21世紀美術館レクチャーホール、定員50名限定(対象は中学生・高校生・大学生)、無料。https://t.co/NBw1ZWjkdt pic.twitter.com/nS8lOxyx8I
こちらのイベントに参戦してきました。独特な世界観を持っていて面白い講演でした。
猪子さんの哲学に学びがありました。
以下は私の解釈と学びの書き留めです。猪子さんの哲学そのものではないのでお気をつけて。
でも整理しきれていないですね。
そのうち糧になると信じている。
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批判からは物事は生まれない。時間的損失が多い。
異論があるなら批判だけにとどまらず何かアクションを起こすべき。
にも関わらず批判をする人間は一定相当数いる。
原因としてTVや漫画の影響がある?
TVや漫画の構造として「ヒーロー」が存在する。
「ヒーロー」は問題を解決してくれる。
TVや漫画に没入することで、「ヒーロー」が勝手に問題を解決する。
「少々この辺りは話の飛躍がある。整理不足。」
・自分のような社会的地位や能力がない人間は問題を解決できない認識に刷り込む?
・自ら行動するのではなく、「ヒーロー」のような選ばれた人間が物事を解決する認識が生む←これが近い
TV、漫画は受態的な人を生む?
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TVを例に挙げる。
画面の向こう側で行われる行為は同じ世界の連続した時間内であるのに、画面(ボーダー)を通してみた世界ではどこか独立した印象を受けた。
場所は違うが、時間ではつながっている。
モニターを通して空間的距離を縮めたとき、どこかいびつな別の世界にみえてしまうのはなぜか。
猪子さんの作品はそうした疑問から生まれていったみたい。
このサムネは「平面を折る」発想だったかな。
パリで行われたのは「分節する」だったり。
「この辺も前後がない」
猪子さんのつくるアートは注目する対象が出ないみたい。理由は「ヒーロー」の話につながる。
注目する対象を作らないようにしている。
美術館の帰り際「どの作品が一番よかった?」というのを、猪子さんのアートでは極力発生させないような取り組み。
本来、身体で物事を感じ取っていたのに、脳で感じ取る場面が増えてきた。
絵画、TVは視点の固定。視点の固定→身体の固定
脳だけで処理をするアートは生まないように?
現在は時間の中でつくられたものが興味ある。
高齢の大樹など
人間が生涯を掛けて作った(狂気的なものを感じる)作品も。
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個人の宗教、哲学がアートになっていた。(本人は宗教と言っている)
僕でいう座右の銘に通じるものを感じた。
だから違う畑の話は「宗教的にやらない」とかキッパリと言っていてよかった。それは違う畑の人、その分野で強い人が頑張ればよいみたいな。
誰も手につけていない分野を開拓して、やっと産業としてお金にできている感じ。
猪子さんの表現したい世界を実現させるために、他の大きな流れに乗る。
例えば環境とか。例えば歴史、時間の流れとか。こじつけて世界を表現していた。
ときめきはあいまいなものだから、どこかで具象的なものにしなければならない。
すでに答えはあって、現状一番表現する手段として的確だったのがときめき。
ときめかないものに何か隠されていると思う。